タコムのアッパー











これらのフォトは以前 SATマガジンに載せたものです


タコムというアッパーを識っていただくためにここにも載せますケニーが優勝してイチ速くコンタクトしてくれたのは タコムのシャチョさんでした😊


だいたいのストーリーは皆さんご存知でしょうけど、ついでに記事も載せますから読んでくださいな♪


では、どうぞぉ🤗



T-REX

     ☆日本少年の勝利☆

 昨年11月21日、フレズノ郊外でスティルチャレンジの月例射撃会が行われ13歳の小柄な日本少年が 63.57秒という瞠目のスコアを叩き出した。これはキャリフォニア州の大人のプロたちにも出せないというタイムで圧倒的な総合優勝だった。

 その前週に開催されたロサンジェルスでの試合においても65.87秒を出して優勝したばかりだった。


 スティルチャレンジとは様々な距離に立てられた5枚の鉄板ターゲットをヒットし、そのタイムを競うという全米規模の早撃ち大会だ。コースは8ステイジがあり、すべてを回るのに250発ほどの弾を撃つ。この試合は使う銃によって13の部門に分けられており、少年は9mm弾を使用するAR-15系のライフルを撃つという近年大人気の部門に参加したのだった。


 中学生で体重47kg、わずか1年あまりの訓練しか受けていない少年が、長い経験を積んだ豊かな体格の銃豪たちをいかにして軽々と抜き去ってしまったのか・・・

      ☆生い立ち☆

 そこには、父親の射撃に関する長い経験と知識が役立ち、最短で子の成長を促すという深謀があった。ちなみに父親は77歳、普通の家庭であれば少年は子ではなく孫であろう。

 父親の名はイチローナガタという。

 20年ほどのムカシに、正しい銃の扱い方を習っていなかった自衛隊にガンハンドリングという安全な手法を持ち込んだイチローだといえば知る人もいるかもしれない。

 彼は31歳で渡米し、日本のGUN雑誌のリポーターをやりながらアメリカやヨーロッパの雑誌でもGUNフォトグラファーとして30年以上にわたり活躍した写真家であり、FBIのSWATティームの指導を受けて銃器インストラクターの免状をも得ている。

 イチローが渡米したのは31歳のころ。それから射撃を始め、ポリス射撃、コンバット射撃、スティルチャレンジ、ビアンキカップへと世界の舞台に進み、ビアンキでは世界のベスト8まで昇り、それをピークとして射撃力は衰えていった。

 そんなイチローが76歳となり、老後の趣味としてローカルで行われる試合を楽しんでいたときに彼の息子は12歳となり、体力もついてきたので本格的な射撃を学ぶこととなる。

 本格的に射撃を学ぶ・・ということは、競技に参加するという前提がある。試合という場で撃ててこそ本人の実力を測れるというものだ、とイチローは考えている。

 アメリカで現代最強の武術はコンバット射撃であり人気の高い実用格闘技なのだ。空手や柔術の道場もあるが、その門下生たちも護身用としては拳銃を選ぶ場合が多く、人口2万もあるような地域だと必ずと言ってよいほど射撃場があり月に2回は試合が行われていると考えてよいだろう。それらのインフォや結果は、ネット上にあるPractiScore(プラクティスコア)で発表されるという立派な射撃スポーツのシステムがある。ここを覗くと全米でどのような試合が行われているのかがよく判り、自分と世界との差も容易に判るようになっている。

 試合に出ると学ぶことは多い。切磋琢磨と創意工夫を重ねることで賢くもなり、真剣なシューターたちと交流することで豊かな人間性も備わってくることが期待できる。

 父親は、この時がくるのを待っていた。

 それは、ケニーが男の子として生まれた時から計画されていたことだった。

 強靭な男として育てたいので名前を

「剣士郎」とする。

 剣士とは剣術の名人ではなく「闘える男」を意味している。

 時代はいかに変わろうと、人は文武両道に優れることを目指すべきだ、と親のイチローは考える。

 侍といっても、一般的な侍のように盲目的に殿様に仕えるのではなく、自分の道を切り拓いて生きるようなタイプにしたい。そのためには浪人のような求道者になってもかまわないと父は考える。今の世界は文武よりも金と出世が最も大切という価値観に満たされてはいるのだが・・・。

 アメリカでは互いにニックネイムで呼び合うので剣士郎の通称はケンであり、親しみをこめてケニーと呼ばれる。日米共通で覚えやすいネイミングというわけだ。

 強靭な子供に育てようと父は待ち構えていたのだが、生まれてきたケニーは平均よりも小柄だった。育つ過程での食欲もそれほどではなく、やがてアトピーを発症し、ひ弱であり病院通いの必要もあった。

 2歳になったころ、まずはキャッチボウル遊びから始める。父と子の毎日の遊びは投げることと受けることばかりだった。飛んでくるタマを捕るというのは動体視力を養い、投げるという動作は体全体の成長を促すわけで、こうして形成される筋肉とアイコーディネイションはスピード射撃にも通ずるだろうという父の考えがあったわけだ。

「超一流の射手となるためには、どういう訓練を積めば良いのだろうか?・・・」

 これはイチローが長年にわたって考えてきたことであり、言えることは他のスポーツも出来ることが重要だということだった。

 まずは動体視力を養うようなスポーツをやらせながら必要な筋力を鍛えてやろう、と父は考えていた。

 小学校に上がるとサッカークラブがあり、ケニーが興味を示したのでやらせてみた。しかし粗暴で大柄な生徒たちに押しまくられたり蹴られたりするので早々に退散する。背の高い筋肉男に利のあるスポーツは敬遠するしかない。やがてTボウルというベイビー野球に入部、ここから実りある訓練が始まる。やがて少年野球へと進みピッチャーを含め、あらゆるポジションを体験しながらケニーの運動神経は磨かれていった。

 さらにもっと足腰を鍛えるために柔術道場にも通わせる。ただの射撃を習わせるのではない。目指すはコンバットシューターへの道なのだから素手格闘のセンスも必要なのだ。コンバット射撃を学ぶ者は、素手でも闘える必要があり、プランBとしてナイフも習うべきだと父は考える。総合的に学ぶことで素手の限界が解り、ナイフの弱点と銃の難点も理解できる。つまり、銃で闘う場合に素手やナイフの怖さを理解していればオメオメと銃を獲られたりはしないということだ。

 そうこうするうちにコロナが流行りだしたので野球も柔術も終わりにした。野球はプロになるという意思がないかぎりはホドよいところで抜けるのが得策だろうし、柔術は高校から再開すればよく、それまではストリートファイトの技法をゆっくりと仕込めばよいだろうと父は考えていた。

 だが、ケニーの敏捷さを向上させるためには何かをしなければならなかった。そこで卓球台を購入する。全身運動をしながらフットワークと瞬発力、そして動体視力をも養うという作戦だ。あいにく卓球ドシロートの父なので、とくに習ってもいないケニーにも負けるのだが、これは家族で行う適度な運動と団欒の場にもなっている。

 食事にも気を使う。

 玄米が主食だ。

 これは両親そろって長きにわたる人体実験で素晴らしい結果が出ているのでケニーも米を食べられるようになったときからオーガニックの玄米食育ちだ。

 とはいえ、ガチガチの健康食だけではない。たまにはハンバーガーも食べればソーセイジやカップラーメンも食べる。基本的に食べた分だけ運動で燃やすことができれば何を食べてもよしとする。しかしコーラなどの炭酸飲料は家の冷蔵庫にはいっさい無い。食事の時にコーラを飲む人々が多いが、父の目には自殺行為と映る。

 こうして12歳になったケニーは 小柄ながらも敏捷で、学年でのクロスカントリー走で3位を維持できるようになっていた。外見は頼りなく見えるが服を脱げば逆三角形の均整のとれた中学生となっている。

 身長と体重の増え方では遅れているとしても射撃にはどちらも影響がない。むしろ小さくて軽くて素早いのが銃撃戦に向いた体型なのだとFBIの教官たちも言う。

      ☆父の訓練法☆

 父は心の奥に期待感を押し込めながら欧米の子供たちがやるようにケニーにも22口径のライフルを撃たせてみた。スティルチャレンジでは最も難しい「ペンジュラム」の練習から始める。するとケニーはすぐにコツを呑み込み、ちょっと驚くほどのスムースさで撃てるようになった。バトンのエアソフトガンで練習していたので反動の少ない22口径ライフルには違和感なく馴染めた。

 エアガンといえば、永田家の庭にはエアガン射場がある。もともとはバトンの社長がターゲットを持ってきてくれて、後に日本の有志達がスティルチャレンジの全セットを立ててくれたものだ。ここでケニーは毎日のようにドライファイヤの練習を積んでいる。弾出しは必要なく、実銃またはエアガンでのドライファイヤで充分なのだ。真剣に5分間やるだけで良いイメージトレイニングになっている。試合でワンステイジ5回を撃つのに要するタイムは1分ほどなので、そんなつもりで真剣に素振りをするわけだ。

 こうして上達の兆しのあるケニーを観た父はローカルの試合に出してみようと本格的な指導を始め、その3ヶ月後には試合の場に立たせる。

 訓練で最も大切にしたのは「ガンハンドリング」だ。試合場では銃の取り扱いルールが厳しい。もしも銃口を上下左右180度に振ったら退場を言い渡される。自分の名が呼ばれてから射座に出るまでの身のこなし、バッグからの銃の出し方、弾の込め方、抜き方、銃のしまいかた。そして先輩たちへの挨拶、人々を尊重する態度、我欲を撒き散らさない、などなど、あらゆる想定をしながら射場での心得を厳しく教え込んだ。

 「新人の成績なんて誰も気にしないのよ、問題は作法なんだよ、誰が観ても安心していられる銃のハンドリングなんだよ。これに不安があると目をつけられて、直らないようだと追い出されるのだよ・・・」

 ケニーは、この言葉を毎週末3ヶ月間も聴かされた。

 なんでもそうだが、射撃にしてもシロートが考えるよりも難しいものだ。そして、いっぱしのシューターでさえ射撃のどこが難しいのかを知る人は意外に少ない。40年にわたる射撃生活で父はそのことには熟知していた。遠回りを回避して核心に真っ直ぐ迫る訓練をすれば時間と弾を浪費することなく最短で腕前は上がるだろうと考えていた。

 銃撃の動作には2つある。

 狙う、トゥリガーを引く。

 たったこれだけなのだ。

 ピストルの場合は、グリップを握り、抜き、狙い、撃つ、という4つの動きとなるが基本としては狙って撃つだけのこと。

 で、難しいのはどこか?・・・

 「トゥリガーを引く動作」

 これに尽きる。

 たったそれだのことだ!!

 100mを9秒で走るためには、両足を誰よりも速く動かせば良い、のと同じくらいにシンプル。だが、その道のりは果てしなく遠いものだ。

往年の世界チャンピオンには口癖があった。それは「射撃の秘密はトゥリガープルにある」というものだった。

 そして、撃ち始めてみれば、誰もがそれに賛成することだが、世のインストラクター達はそこを執拗に教えることはない。

 多分、そんな訓練を満足できるまでやったら生徒が逃げるからだろう。そして教官本人も、そこを徹底的に磨いたことのない場合が多い。なぜかと言えば、その訓練は退屈だからだ。走って撃ったりマグチェンジの練習をさせるほうが生徒は喜ぶ、が、射撃の真髄はそれらからは学べない。長年練習しているわりには上達しないシューターが多いのはトゥリガープル訓練を素通りしたからなのだ。

 延々と同じ失敗を繰り返しながら30年が経ってしまうというわけだ。それでも楽しいのが射撃の世界で、ケニーの父親もその一員に近いのだがね・・(笑

 写真学校の課題でクルマが60キロの速さで通る道路でバンパーと電柱が重なる瞬間を1/2000秒で真横から撮るというのがあった。それが12枚中に3枚必要という課題だ。

このシャッターチャンスを狙う時に自分がシャッターボタンをガク押しをしていることにイチローは気がついていた。

 後年、拳銃を撃ち始めた時のガク引きはさらに激しいものになっていた。発射の反動に体が反応し銃を押え込もうとするからだ。これは自然な反応であり条件反射という自然本能なのだった。

 見るからにマッチョな映画スターが銃撃するとき、ブランク弾なのに多くが目をつむる。これが条件反射というわけで、初めは誰でもが陥るのだが、彼らはガク引きの名手なので実弾での命中はありえない。

 イチローは、ケニーに目をつむらせない訓練から始めた。本人は目を瞑らないしガク引きもしていないと言い張るので弾の中にダミー弾を混ぜてビデオで見せる。ケニーは恥じた。空撃ちだとガク引きは出ない。だがダミー弾を混ぜるとテキメンにガク引きが出る。

 「フォーカスしなさい・・」

 集中、という意味だ。

 しかし、どこに集中するのか解るだろうか?・・それはトゥリガーを引く指の腹の触感に、なのだ。ターゲットを狙うのには10%以下の神経を使えば充分で90%はトゥリガーに触れた指の触感を観ており、引き切る瞬間に集中するわけだ。残心が大切なのは言うまでもない。次のターゲットを探すのは幼少時に鍛えたアイコーディネイションが自動的にやってくれる。

 「いいかい、覚えておいてほしいよ・・今年はトゥリガー引くのは難しいなと想うだろうよ。そして来年はトゥリガー引くのは想ったよりもずっと難しいと想うようになるんだよ。そして再来年は、トゥリガーを引くことってモノスゴク難しいと想うようになるものだよ。それがずっとずうっと何十年も続くのだよ、それが射撃の世界なんだからね・・」

 父がケニーに教えたことはそれだった。

 そして常にトゥリガープルの難しさが身に染み込むような訓練を延々と繰り返す。

 こうして遂にケニーは撃った瞬間に自分がガク引きをしたかどうかが判るようになった。ガク引きが止んだのではなく、まずは自己診断ができるようになったのだ。この先は長いながら、まずは第一の難関を通ったことになる。

 コンバット射撃は正確に速く撃つが、これは相反することだ。正確に撃つには時間がかかり、速く撃つと精度は保てない。その上に本能である条件反射を拭い去れというのだ。

 これは多分に身体能力ではなく、マインドの勝負となる。そしてアイコーデネイションも脳内でなせる技なのだ。

 よく勘違いをしてジムで筋力をつけるシューターがいるが、チカラと筋肉は往々にして射撃のジャマとなる。その証拠にケニーは身体も小さく非力ですらあるのに大の大人たちよりも速く正確に撃つ。射撃には力の無駄遣いは禁物なのだ。

 最近になってケニーの噂は広まり、射場に行くとシューターたちが彼を見にやってくる・・が、一様に驚くことはケニーの意外なまでの細さだ。

 「ええっ?・・君が70秒を切るというウワサの少年なのかいっ!!・・」

 「どうしてこんな腕の細い子が我々よりも銃を速く振れるというのだっ・・?」

 「いったいどういう訓練をしているのか教えてくれないかっ!!」

      ☆試合に参加☆

 2019年の9月1日、ケニーは初舞台を踏んだ。マリポサのピストルクラブが運営するスティルチャレンジの月例マッチだ。そこの重鎮たちはケニーの練習ぶりをすでに観ており、暖かく迎えてくれた。

 ケニーは緊張するふうもなく落ち着いて撃ち、まずまず合格のハンドリングと作法で周囲を安心させる。

 初回の試合結果は22口径ライフル部門で107.24秒だった。この成績は普通程度だが、それは長年撃っているシューターたちがヤヤ失敗をしたという程度で、そんなタイムを初出場の少年が出したというのには注目が集まった。ちなみに親のイチローは100秒をようやく切るという成績だ。

     ☆世界のレヴェル☆

 スティルチャレンジにおけるライフル部門のレヴェルについて書いておこう。

 ある程度の経験があれば、初めから100秒に近いタイムを出せる、が、100秒を切るとなればミスを減らす必要があり、すこしは期日がかかるものだ。100を切れたら一人前のシューターだという気がする。初段というところだろう。

 もし90秒を切れれば上級シューターの仲間入りだが、このためにはかなりの精進を要し、ここから先は才能の程度が問われることとなる。

 80秒を切れば銃格闘技の3段というところか。ちなみに75秒を切れるようになるとトップシューターの来ないローカル試合では優勝する可能性が高くなり、お山の大将としてメンバー達に一目置かれる存在となる。

 シロート衆に人気のあるインストラクター達の多くは試合には出てこない。近くの紙ターゲットに物凄い速射をかまして人気をとってはいるが、彼らがスティルチャレンジで85秒を切れるかといえば疑わしい。

 そして、70秒は音速の壁だ。

 ここから射撃の豪傑たちの世界となる。

 キャリフォニア州で数々のスポンサーを得ているプロたちでも70秒はめったに切れないものだ。こうなると努力だけでは敵わない世界となり、才能での競争となる。

 そしてPCCで60秒を切れると優勝候補の天才シューターだといえる。ここを突破できる射手は世界でも3人といるだろうか。こう説明すれば、ケニー少年が到達した63.57秒といことにどういう意味があるのかを理解してもらえるだろう。ちなみにケニーの成績をプラクティスコアの発表で見るとワールドでは10位とランクされている。これはジュニア部門の話ではなく、大人たちをもひっくるめた総合での成績なのだ。

 PCCを真剣に撃つためにUSPSAという連盟に属して競技に出ているシューターの数は600人ほどだそうだ。そして連盟に入らずに試合参加しているのは、多分その3倍ではすまないだろう。そして試合などはやらないが趣味としてPCCやAR-15を持っている人の数は100万人を超えると想われる。なにしろAR-15は米国民の間で物凄い人気なのだ。

     ☆ケニーの実績☆

 ケニーは、初めて競技で出した107.24秒に続き、翌月の試合では104秒、次は94.19、そして80.71と腕を上げた。ここらでイチローコーチは作戦変更を実施する。

 「22口径はここらで終えて9mmカービンを撃とうではないか・・・」

 そのワケは2つある。

1 22口径には故障がつきもの。

2 22口径は本物の銃とはいえない。

3 9mmからがリアルガンと呼ばれる。

 この3点だ。

 22口径の難点といえばジャムの多発だ。銃が良くても弾に製品ムラがあって不発がよくある。評判高いイリー弾を使っても不発が出る。それとマガジンの問題も多い。千発撃ってジャムなしというのは稀なのだ。試合中に必ずといえるほどにジャムが出て、これには心理的に疲れる。

 それと、22口径の銃は、ショセンはオモチャなのだ。戦闘銃ではない。殺し屋がサイレンサーを付けて至近距離から頭を撃つとか、特殊部隊が防犯キャメラを破壊するのには向いてはいる、が、少なくともガンァイターが使う道具ではなく戦闘や護身のために使うべきではない。

 ただ、反動が少なくて撃ちやすいので初心者の入門用には良く、弾の値段も安くて助かるといった利点があるだけなのだ。

     ☆ケニーの愛銃☆

 どうせいつかはリアルガンに転向するのだから急上昇しているうちのほうがよいだろう、と父は考え自身のAR-15を9mmに改造した銃をケニーに与えた。

 9mm弾を撃つライフルはPCCと呼ばれる。ピストル キャリバー カービンというわけだ。PCCOとは、拳銃弾を使うライフルに光学照準器が搭載されているという意味で、ダットサイトなしでアイアンサイトを使う場合はPCCIと呼ばれる。

 PCCの銃は、22口径とは違ってガツガツと5.56mm弾なみの反動がくる。細身で体力も腕力もないケニーには時期尚早という気はしたが、初めは驚いたものの即日のうちに順応した。この細い体のどこからどうやってこの驚くべきスピードが出てくるのかと父は唖然となり、これはもしかしたらワールドに躍り出る才能ではないかと想った。

 これは嬉しいことだが困ったことになるぞ、と父は迷う。それまでは「男たるもの銃を撃てないでアメリカで暮らせるものか」的な考えで、射撃は親子で楽しむ趣味という認識だった。世界に出るとなれば大金がかかり、訓練時間も大幅に増やさなければならない。しかし、ここで引っ込むというワケにもいかないだろう。そんなことをしたら父子の間に亀裂が生じるかもしれない。

 銃もさらに良いMPXを入手した。初めは喜んでいたケニーだったが、やがてスターンのほうが撃ちやすいと言いだす。なぜかと聞くとMPXのボルトの動きが遅くて待てないと言うのだ。スターンはストレイトブローバックなのでボルトが早く戻るために次のターゲットを早く狙えるのだと言う。理論的には確かにそうだ。ロータリーボルト採用のMPXはボルトが回転して閉鎖と解放を繰り返すので時間はかかる・・とはいえ、その僅かな差を人間が知覚できるものだろうか?・・反動が柔らかで撃ちやすいMPXよりも、強い反動ながらボルトの動きの速さのほうが大切というケニー。

 息子の脳内で流れる時間は普通人とは異なるのだ、と父は悟った。

 こうして9mmのスターンを使いこなすようになったケニーを父はキャリフォニア州のステイトマッチに連れて行った。ロサンジェルスで開催される州大会だ。地元だけで撃っていては伸びないので遠征が必要だと考える父だった。5時間かけて走り、ホテルに泊まっての出場だ。そこの射場はスティルチャレンジ発祥の地であり長年にわたり世界大会が行われていた由緒ある射場だ。しかしやがてその山のオーナーが変わりスティルチャレンジの権利はCTAという訓練会社に移って運営されていた。そこではローカルマッチが毎月行われ、年に1度はステイトマッチを開いていたのだ。

 遠征とはいえ、一泊でできる試合なので手ごろであり良い経験になるだろう。今までとは違って知り合いはいない、が、スティルチャレンジの拳銃部門でベスト4という腕前を持つ日本人シューターであるサメジマ君や、ロスでレストランを経営するタクマなども出場し日本人を中心としたスクワッド(組)で回れることになった。ケニーはサメジマ君の素晴らしいスピードに感動し、すっかりリラックスして持ち前の運動神経を発揮した。その様子を観ていたマッチディレクターのマイク セティンがイチローに話しかける。

 「オイオイ、すごいボーイだなぁ・・ぜひともオレの銃を観てもらいたいので試合が終わったら試射してみないかい?」

 ケニーは、74.63秒という好成績を出しジュニア部門での優勝だった。85秒くらいで撃つマイク自身が驚いたのは無理もない。

 そして、マイクが試射させてくれた銃は、今の人気タイプ、PCCレイスガンだった。バレルもスプリング類も新型で、プロ仕様の軽量で撃ちやすい銃だった。グロックのマガジンを使うというのも今風だ。スターンは悪くはないが、言わば実用車であり、レイスカーではない。銃のリポーターだったイチローの眼にはそれが必要だと映った。それを試射したケニーは感動の笑顔を見せた。

 「コレどうやったら手に入るんだい?」

 「パーツをあちこちから集めるんだがオレの考案したパーツもあるんだ・・・」

 「じゃあマイクが注文を受けてくれるの?」

 「いや・・注文は受けてない・・けどケニーのためになら作ってもいいよ」

 マイクという男は、ロス界隈のジュニアシューターを育てるという役目もしている。ケニーの射撃を観て放ってはおけない才能だと感じたのだ。

 こうしてレイスガンを組んでもらえることとなった。だが、ロウワーレシーバーは入手できず、アッパーだけを作ってもらうことになっていた。

  ☆ANGSTADT☆

 PCCという銃は、AR-15が原型となっている。ARのアッパー部を9mmにしたものと載せ替えて撃てるのだ。ARのマグウエルには9mmマグ用のアダプターを挿入しマガジンはグロック用を使うのが主流となっている。これでまったく不便はなく、いつでも5.56mm用に変換できるのでむしろ有利だといえる。

 しかし、米国の好き者どもは進化を止めることはない。新しい9mmアッパーが続々と出てくるのだから9mm専用のロウワーも欲しい、という要望が多くなり「デディケイテッド ナイン」(9mm専用)のレシーバーが続々と出てきた。

 しかし、これらは人気があって品薄な上にキャリフォニア州では販売が許されていない・・なハズなのだが、もしもキャリフォニア州の規制をクリヤーすれば購入できるという裏技もある。つまり規制されているのは伸縮式のストックであり親指が反対側に回るグリップでありバレルの先にネジが切られているといったことだ。だが法規制に詳しくないガンショップでは取り扱いを避けている。

 ケニーには、ある心配事があった。

 今は父のARを使えているが、それらはアソルト銃の既得権として所持許可があり、父が死んだら即刻に処分しなければならない。妻にも子供にも譲ることはできないのだ。そうなると銃が無くなってしまう・・。それは父の心配事でもあった。

 「なんとかケニーが受け継げるPCCを遺してやりたいから自分で探してほしいよ・・」

 こうしてケニーのロウワーハンティングが始まり、獲物は数週間後に網にかかった。

 ケニーの仲良しシューターでニコラスという少年がいる。彼は22口径ライフル部門でキャリフォニア州のチャンピオンだ。そんな彼がアリゾナの試合に参加した時、そこに店を出していたガンショップにAR-9のロウワーとアッパーが2セットあり、そのガンショップは