
ナイン州の博識王ドナグさんが永眠しますた。
45才ですた。
その日はMIZさんに送ってもらったリンゴを皆で山分けすべく、クルマでドナグさんちに向かいますた。ドナグさんには告げずにサプライズで、だす♪
途中、駅で佐伯さんをピックアップして、ドナグさんにメイルを送りますた。
「今日ヒマ??・・ヒマだよね?ね?ね~♪」
サプライズメイルだす♪
ドナグさん あわてて返信してくるだらうなー♪と思いながら出発しますた。
・・・が、返信がありません。
「あ! パソ子の調子がマタマタよくないって言ってたなー」
と思い出してデンワをかけますた。サプライズデンワだす♪
・・・が留守電ですた。
「アレっ?留守電なんてメッズラシーなあ」
と佐伯さんにボヤいてクルマを走らせますた。途中、ドナグさん好みのラーメン店でテイクアウトを買いますた。サプライズお土産だす♪
あと30分もすればドナグさんちという地点でリダイアルするもマタマタ留守電。
「まさかコロナに・・いやいやいや(いつもの口癖)、インフルエンザでダウンしてるかもですねー」
なーんて佐伯さんとはなしているうちにドナグさんちに到着しますた。
玄関前からデンワとゆーのもヘンなので、クルマをおりてインターホンを押しますた。
するとロックを解く音がしてドアがすこし開いて、「誰?・・」という目をしたドナグさんのお母さんの顔が半分見えますた。おいらは帽子にマスクという自分のイデタチを思い出して
“・・マロンパだす”
と告げるとドアがガバッと開いてお母さんが言いますた。
“ああ、良かったぁー
ダイスケシンジャイマシタ ”
“へっ??・・”
“会ってやってくださいー
ウチに居ますからぁ”
“えっ・・”
お母さんの言ってることが頭では理解できないけれど胸にはズドン!!ときました。
“どうぞ、こちらですぅ”
案内されて玄関をあがって奥の部屋にはいると、そこは仏間で、仏壇には数年前に亡くなった親父さんの遺影があり、そのとなりにドナグさんの写真が立ててありました。
《動揺するな・・動揺するな・・動揺するな・・》
おいらはイチローさんに教わったことを繰り返しながらゆっくり呼吸をしました。
“・・・いつ・・ですか??・・”
“先月でした・・”
“ええっ!!
こないだデンワで話したばっかりですよ!!”
お母さんの話では、いつものように、夜、おやすみと言って自分の部屋で寝てそのまま亡くなったそうです。「心臓死」という突然死でした。
おいらに連絡したかったけれど、スマホのロックが解けなくて出来なかったそうで、それが玄関先での第一声「ああ、良かったぁー」だったのだそうです。
お母さんは泣き笑いの表情でいろいろな話をしてくださいました。出棺までの話、子供のころの話、学生時代の話、教師になってからの話、調子をくずして入院してからの話、そして退院ができた話・・・
佐伯さんが ときおり相槌を打ちながら聞いてくれました。
おいらは奥歯を噛みしめていて 全く話が頭に入りませんでした。
連絡先を交換しておこうとケータイを開くと1時間30分が経っていました。
その後、お線香をあげさせてもらい、おかしいかなとは思ったけれど、リンゴとラーメンをお供えしてもらいました。いつもはおいらがサプライズを仕掛けてドナグさんが驚く役だったのに、今回はまんまとヤラレタ気分です。悔しいなあ・・イロイロと。
イロイロなことに興味を持っていて、イロイロなことを識っていて、イロイロなものが大好きだったドナグさん。
道半ばではあるけれど、楽しいことも多かったんじゃないかしら・・・だったらイイなあと想います。
I HOPE
by マロンパ


全国に旅立ったドナグさんコレクション。
ブログに貼ってくださったフォトをまとめてみますた♪
ドナグさんのお母さん & お姉さんに観ていただくだすねー♪
ミナサマ (* ´ ▽ ` *)/ アガトリィー
長崎のkenさーん (^○^)/
ドナグさんとのエピソードをアガトリィ~♪
ドナグさんって挿し絵がンマイんだすねー!!
Σ( ゜o゜) シラナンダー
知らなかったといえば・・
お母さんに聞いたハナシなのだすが、ドナグさんは小さい頃カラダが弱かったそうで。そこで まわりからの勧めもあり小学2年生のときに水泳を習わせてみたところ、これがバッチグーだったそうだす。ガッコーが終わると夕方4時から8時まで ずーっと練習にあけくれて、毎日3キロも泳ぎまくる丈夫な子どもに育ったのだそうだす(のちのアクアマンである♪)。そしてナント!! 熊本県の代表選手にもなったのだそうだすー!!
Σ( ゜o゜) シラナンダー
〖 ドナグさんとの思い出 〗
皆様、ご無沙汰致しております。長崎のkenと申します。今回は市郎さんのブログをお借りして、文章はヘタですが少々ドナグさんとの思い出話をご紹介させて頂きたいと思います。ドナグさんの訃報の電話を受けた時、本当に驚きというか衝撃を受けました、と同時に彼がすでにこの世にいないという喪失感に襲われました。電話が終わるとそれらを少しでも埋めようと家の本棚に走りました。そこには彼と出会った頃の思い出の品があったからです。
上の画像は多分2012年春頃にドナグさんから私に送って頂いたノートの画像です。今から9年前、私が市郎さんのブログのコメント欄で学校や学童クラブなどの侵入者対策に関心があったドナグさんと知り合い、それから交流が始まりました。その後、翌年の1月にはわざわざ長崎までドナグさんが会いに来てくれました。私の勤めていた警備会社の営業所で時間を経つのも忘れ二人で学校防犯などについて熱く語り合いました。
当時、私が市郎さんの薩摩訓練に行きたかったのですが、諸事情で行けなかった事を聞いて、薩摩訓練の内容を手書きでこのノートまとめてくれました。教師らしい細かな筆致でイラストを入れながら分かりやすく解説してあります。本当にドナグさんらしい、人への思いやりというか優しさにあふれた素敵なノートだと思います。これは私の一生の宝物の一つとなりました。
ドナグさん、本当に今までありがとう。どうか安らかに眠って下さい。我々はドナグさんの事を決して忘れません。
“あ、オージ(ドナグさんはおいらをこう呼ぶ)、今月のガンプロ読みましたかあ?”
月のアタマには必ずデンワをくれたドナグさん。
彼はガンプロ誌が大好きで、リポーターのTOSHIさんとも交流がありますた。
ガンプロ誌に寄稿したこともありますた。機会がありますたら読んでくだちい~♪
たまには肉も食べますた♪(^○^)(^○^) ドーデモイイジョウホウ
>これって…終わらんやつ?😅
↑↑
そのとーり♪
m9(・∇・) ビシッ