函館弟子に長モノの撮り方を教えろち言われてたので、このさい表紙も長モノと替えたよ
フィルム時代で長く育ったワッシにとってフォトショップの到来は魔法の杖をもらったに等しいのよね😊
銃の説明写真にしても背景に凝ると
それなりに雰囲気が出せるわけね・・・
まずはこんなふうに切り抜き用を撮るんだけど、出張撮影でアクセサリーや背景などがなくても、後は自分のスタジオで仕上げられるわけで、デジカメはどんなに助かるかしれたもんじゃないのよん😃
誰かがこんなヴェストなんか持ってたら、ちょいと撮らせてもらうわけね
でもって家でチョチョイノチョイと合成しちゃう♪
レイヤーを駆使できるようになったら、実はそこからがショーブだよっ!! 技術が向上したら、それに見合う作画センスで勝負することになり、雑誌社はその創造力にオカネ💰を払ってくれるわけだね・・・
この背景は実際にショットガンでターゲットを撃ってもらって撮ったものでね、もちろん こういう使い道を考えての撮影だったさ・・・
モナリザの顔はまあまあとして、あの背景には見入ってしまう😁
つまりカタログ写真に芸術性を持たせるには背景がチョー大切さ♪
長モノのフォトは難しい・・というか雑誌などのような小さなフォトだと長細いモノは上手い表現なんてできないのよね💦
なのでGUN雑誌の記事ではなるべく人がその銃を構えているところを撮るようにトライしたよ
モデルがシロートだと映画で銃を構えた俳優みたいにウサンクサイ姿に写るので、いつもプロたちをモデルにしたよ
実際にはこういう光線はあたってなどいないのだけど、そこはソレ・・なにしろカッコよく撮りたいからライティングには凝るさ😁
バトルフィールドにおいて爆弾などの閃光が照らす、その一瞬・・というイメージでライトをあてたものさ
煙に見えるのはフォッグマシンとい霧を出す機械を使うわけね
超現実的な・・いわゆるシュールな世界を描きたかったのでヨセミテをハイキングしながら山や岩をいろいろと撮って背景に使ったよ
心象風景を創ることで
自分の心の痛みを表現でき
そして自身が癒されるのだった
これは下の岩、山、月と別々のフォト、それと倉庫で撮った銃を合成したものだけど協力者や雑誌社からはえらく褒められたよ🤗
アメリカ人好みというわけかな😊
山の上を見てくれ・・ おちゃめな市の木が立っているゾ😁
自然の美も好きだけど、
不自然の美もかなり追求したもんだよ😊
とにかく、いつも新しい絵を求めていた 自分としては どれも実験だった なのに雑誌社は高く買ってくれた 勉強中の実験なのにカネ出してもらえるのって本当に有難いことだと想っていたよ そして・・ いまだに完成した作品など1枚も無い・・・
まあ、ワシの人生からして実験だし・・😅
by 実験といえば文章でもミーやんにイヤガラレルくらい実験しており、このごろ句読点の使い方を実験中・・といっても樋口一葉の原本の写しを見て「。」を使ってないのをマネているだけのボク
>山の上を見てくれ・・
おちゃめな市の木が立っているゾ😁
↑↑
だーはははははは♪知らなんだー
m9( ≧∀≦) オチャメー
by こげなところに 市松 をいれちゃってクライアントに叱られないのカシラ・・と一抹の不安を感じるファン
( ´;゚;∀;゚;) ドキドキ
おちゃめな市の木が有ったなんて知らなかったにゃー(^^)/
ほんと、お茶目なイチローさんにゃ
でも、気づかなかったのは前面の銃に気を取られるからであって主張は成功しているにゃ。
ひょっとすると実験好きのイチローさんは市の木を発見する人数をカウントしたかったにょでは?
そうすれば、主張部分が成功したか測れるから…にゃんて想像するのも楽しいにゃ(≧∇≦)
で、iPad で長物を斜めから撮ろうとすると、奥の方のピントが合わにゃい( ・∇・)もっと強い光線が有れば撮れるのかしら(*'▽'*)日差しが強い日に実験してみるにゃ(^^)/
アメリカには無い景色
横浜も満開になりました(^^♪。
今日は久々の休日の晴れ。 午前中は親父が入院してた病院へ最後の支払いに。午後からは洗車でもするかな〜。C63のブレーキダストで汚れっぱなしのホイールでも洗います。ブレーキローターの厚みも測りたいし。 カーナビ用にと購入した、1万円しないAndroidタブレットの確認もしないとね。
恥ずかしながら、昔はフォトショップ否定派でした。私自身はお遊びのお絵描きや写真の加工をしていたんですけども。プロが作品として合成画像を出すことには、少なからず拒絶感があったのです。 私が、入江泰吉氏のような「ひたすら待って撮る風景写真家」が好きだったこともありますが、愚かにも「写真は真実を写すもの」だと、本気で信じ込んでいたんですねぇ。いやー、若かった、青かった(笑)。 今なら、フィルム時代から『心象』を写し込む試みが無数になされていたことが理解できます。入江作品も、単純にありのままを撮ったものではない、とわかるようになりました。自分でも撮り始めると、なおさらに。 > 心象風景を創ることで > 自分の心の痛みを表現でき > そして自身が癒されるのだった この一節は響きました。 何故自分は文章を書き、写真を撮るのか? 心が痛いから。それを吐き出したいから。 単純に吐き出すだけでは足りなくて、痛みを叩き付け、塗り重ね、削り取って、『痛みの姿』を露わにしたいから。 そうやって、自分の痛みと向き合わないと、心が壊れそうだから。 酒やギャンブルで痛みを誤魔化せる人は、実は強い人なのかもしれない…と思うことがあります。 私は、そんなもので心に蓋をすることができるほど、強くはないのです。 小説にしろ写真にしろ、『表現する方法』に出逢えたことは幸せですね。 で、フォトショップによる合成ですが。今は大いにありだと考えています。適材適所で、必要なら使えば良いのです! 私が最近フォトショップの使用を抑えているのは、基礎技術が圧倒的に足りていないので、そこを鍛えるためでーす😅 イチローさんが仰るところの『シュールなものや不自然の美』を拝見して、「これは、神話だな」と感じました。それぐらい、神々しい。 アメリカ人に受けたのも、わかる気がします。私見ですが、アメリカ合衆国という若い国は神話を求めているのではないかと(「STAR WARSはアメリカの建国神話だ」と分析する方もいるようで)。 逆に、日本には神話が山のようにありますが、『止め絵』で映えるようなものはちょっと思いつきません。