🎶チャーーーーーラララッ!!
タンタラッタ🎶タンタラッタ 🎶
おはようマロンパ君
SAT魔賀陣に忍び込ませた諜報員によると次号はブラウニングの1603号を記事にするそうだ。こういう記事が世間に出るとホトンドの民間人がショック死するので、その衝撃を和らげるために前もって世の中に予備知識を与えなければならないのだ。
そこで君の使命だが、1603号の情報を集めて報告してほしいのだ。おそらく女スパイの邪魔が入るであろうが縛り上げて好きにするがいい。ではセイコウを祈る。
なお、この司令書はまもなく消滅・・はしない。君が任務内容を忘れないための特別な計らいだ。


ショルダーストック禁止令の事は心配するな。私が連邦政府と掛け合って自由に所持することができるようになっておる😎
これが証拠じゃ。
1980年には許可が出ておったのにシランカッタとは情報員としては失格であるゾ😤
マロンパフォト屋さんのは白っちゃけてたので・・・

なんとか直そうとしたけどムリ😓
でもブルーの色はちかくなったかな♪

お待ったせしますたーっ🙋
ヴァレホのガンショウかどーかはわからナインだすがががのがー😅
ラナードというSFPDの男が、非番用にと新しいハイパワーを買って、私にチャレンジしてきたので、ツインシスターズ牧場に行って腕くらべなどやっていたら、最初のマガジンが空になる前に、フロント・サイトがピョーンとどこかに飛んでしまった。
「良かったなラナードや。これが本当の撃ち合いだったら、お主は今ごろジゴクの一丁目だぜ!」と、怒りくるったラナードをからかってやった。
良いGUNが欲しかったら古くてコンディションの良いものに限るので、GUNショーを気長に見てまわって捜すことにした。
だいたい、私はGUNを買うためのお金がなくてヒーヒーしているが、あの時のGUNショーも5ドルと持たないでブラブラ見物していた。
「ハイパワーだ!」私はかなり遠くからその輝きを発見した。普通のハイパワーなら、そこらにいくつもならんでいるが、そのハイパワーの光り方にはなんともいえぬ風格があり、シブーく輝いていた。近くで見ると、そのブルーは独特の暖か味と、透き通り方をした美しいものだった。「ベルジャン・ブルー だな!」。以前に見た古いハイパワーを思い出しながら観察する。昔のベルギーのブルーは、どうしてこんな美しさを出せるのだろうか、と思うくらい見事なものだ。
リング・ハンマーが付いているのはもとより、グリップの後ろには、ストックを取り付けるための切り込みがあり、リア・サイトはマウザー・ミリタリーのようなタンジェント・サイトになっている。
バレルやスライド、フレームなどに様々な刻印が沢山打ってあるのも嬉しい。
ナンバーを読むと、1603とある。4ケタの番号なんて、メッタにお目にかかれるものではない。
13+1連発のハイパワーが最初に納入されたのは1935年だったというから、これはまさにそのときのものだろう。44年も昔にフランス軍用として作られたハイパワーが、全く無傷のままで今、私の手にある。
「ウーム、きれいだ!」、ジワーッと頭に血がのぼる。銃の美にうたれたのと、お金を持っていないので困ったせいだ。
「高いんでしょうね? コレ」
「650ドルはもらいたいねェ」とヒゲ面の30歳くらいの白人はすまなそうに答えた。
フロント・サイトが消えてしまうような今のハイパワーが340ドルだから、約2倍の値段は決して悪くない。その美しさときたら50倍だし、第一これにはストックを装着できる。私はストックの付いたハンドガンにはすぐにシビレるのだ。
「オーイ、誰か650ドル貸してくれェ!」誰が貸してくれたか忘れたが、なんとかなった。見かねた持ち主も50ドルまけてくれた。
あとで、このことをタークに言ったら、ハイパワーの好きな彼はこう言った。「オイッ、それをオレが700ドルで買ってやるよ。2~3年したら2,000ドルに上がることまちがいないからナ」
「アッ、そうかい。そんなら売らずに持っていることにするよ」
━━月刊Gun1979年10月号より━━
このフォト・・

メンドクサガリ屋のイーチがここまでバラスとはヨホドお気に入りだったよーで😆

昔のキャメラでの二重露光は難しかったですよぉ!!
残念だったのは雑誌の印刷では

ベルジャンブルーの独特な色合いと深みを出すことができなかったことです💦

なので、次回のSATマガではベルジャンブルーに挑戦しますよ。と言ってもショセンは紙印刷なのでムリムリの無理💦でも、このブログでもハッピョしますので楽しみにしてくださいな。コンピュータの画面だと4x5インチ フィルムをそのまま見るような透明感がありますからね!!

イーチがGun誌にデヴューしてからというもの雑誌の売上は急上昇し、毎月数千枚もの嬉しいコメントを葉書でもらったものですが、同時に嫉妬マンが続々チミモーリョーの如く現れたのもこのあたりです。中には「リポーターという者は自分の姿を誌面で晒してはイケナイ😤」と面と向かって責める自称リポーターも出てきたり、実銃のガン屋オーナーが「マウザーの弾クリップをベルトに挟むのは邪道だ😬」とか、タチの悪い姑のように編集部にネジ込んできたり😀
ウンウン、こうして今から振り返って客観するに、アメリカのカリホニアで自由奔放初公開のように実銃を撃ちまくっているイチローとやらの明るく正しくホガラカでイカニモ女にモテそーな健康的で雄々しい姿は確かに嫉妬に値するようなマブシサが充満していますねー🤣
そういった嫉妬屋さん達をよそに、今ここでブログを読んでくれてるヲジ様たちは、そのころは活気溢れた少年たちでイチロー兄ィと仰ぐ存在で嫉妬なんか知らない子供たちでしたね♪
そして、やがて・・突然にイチローはGun誌から消えてしましいます。ワチ リポーターによれば、Gun誌の面々は万歳三唱を唱えたが、一部はGun誌が倒産に向かうと心配したそうです。
あの時、何が起こったのか・・・?
その事に付いて語ってほしいというリクエストがまったくないのはどうしてでしょうね・・
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もう使わなくなったパソコをいじってたらフタミ司令官のブログがでてきてねぇ♪
あとでゆっくり観たいのでココに移しときますね。
さて、ハイパワーはほどほどにして、次の話題にりませう。
【悲報】・・・はもうエエっちゅうねん(笑)。
本日はレーゾーコの話ではなくて。ちょうど仕事を抜けやすい日だったので、有給を2時間ばかり取って、用事を済ませたのですよ。そうしたら、妙にサクサク進んで、ポコッと空き時間ができまして。
「これは、撮らねばなりません」
てなわけで、急遽ロケを敢行しました。APS-C機を提げてるからには、もうロケハンでは済まされません😁
前々から目を付けていたものの、諸般の事情で延び延びになっていた大物エリアに突撃!
正直に言うと、香川で「撮影者に絡むので有名なオバサン」に遭遇して以来、ちょっとばかし撮影トラブルに対して臆病になってまして。今回はリハビリも兼ねてのアタックです。
結論からいうと、「ダメだ、広すぎ。路地多過ぎ。一回じゃ全部回りきれない」てことで、全踏破は断念しました。
面積的には六割ほど歩いたんですが、路地構造がアリの巣みたいで。枝分かれしてるうえに、それぞれが繋がっていない箇所が多すぎる!
左の膝が痺れてきたので、そこで打ち止めとしました。180ショットくらい撮りましたが、見るのは良いけど撮るのは難しい場所ですねぇ・・・。
G1Xでここまで集中して撮影したのは初めてですが、想像以上に疲れました。気温が高かったり、歩くペースが速かったりといった要因はありますが、問題はやはりキャメラ。コンパクトなのはいいけど、持ちにくいんです。
少しくらい重くても、グリップが深いキャメラの方が、変な疲れ方をしないように感じました。
「そもそもそういう使い方をするキャメラではないだろ!」というツッコミには同意します😅
そんなわけで、マップの一部を。これで三分の一くらい。全体のスクリーンショットは建物の形が崩れて使い物になりませんでした。
イチローさんのアドバイスとルシファさんの提案を『素直』に聞いて撮り直し。
キャメラ設定は同じ。シャッターだけは1/3秒だか。
マットな布、黒しかなかった。
するとどうだ、肉眼では分からない『ホコリ』がこんなにも写り込んでやがる!撮影前にガムテープでホコリ取ったんだけどな。これも高級レンズの実力か?
暗くするとテッポの輪郭が曖昧になるし、反射も美しくない。なのでここら辺が妥協点。
次は、「高級レンズの実力を見せてもらおうじゃないか」というコトで、イジワルテストみたいな被写体を。
コレは照明を暗くして布への反射を抑える。結果ホコリも目立たなくなりました。
でも、シャッターが1秒!もちろんブレ防止のためセルフタイマー。
横位置も。
さすがPROレンズ、良いんじゃないでしょうか。
お疲れ様で〜す\( ˆoˆ )/
今日はマイタケさん家の仕事〜ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
狭い天井裏で掃除してますーゆ(ノ_<)
イチ様〜❣️
乙女座の女性の話早くして下さいよ〜_φ(・_・
ペガサス経由なんですかね〜(*^◯^*)
やっと見つけた〜*\(^o^)/*
マルシンのハイパワーはここだけ別部品だったので後で飼って交換したんだよね〜(⌒-⌒; )
いや、これは………
ベルジャンホワイトではありませぬ。
ベルジャンクラフツマンシップ
Belgian craftsmanship
ベルギーの銃器工の凄技と最高の物を作ろとする心意気。
これだけ光を当てても傷や磨き残しの影が皆無。
プルーフマークの多さは検査回数の多さの証明。
勿論理想的な保存状態。
グリップのチェッカリングも見事に残っていて…
現代人の感覚だとこれだけ手を加えた製品は特別な物で、
高級将校か海外の駐在武官への贈答用。
でも、1935年、昭和10年、だと一般の軍用品でもこれ程手を加えていたのでしょうか?
まぁとにかく簡単にはお目に掛かれぬ逸品には違いなし(^^♪。