別離の時
- 市

- 8月11日
- 読了時間: 29分
更新日:8月26日
ラストウィークとなりました・・
何がって・・?
ケニィが彼自身の旅に出るのです
次の土曜日にLAに向かいます
実は この土曜にケニィと母はLAに行き住むための部屋を契約してきたのです
そこで・・
ちょっと寂しい気持ちが父子の間に流れる中で 夏のバイトも終了したので射場に出かけ 想い出になりそうな動画を作りましたのでご覧ください・・
ターゲットは12インチ
距離は16.46m
つまりペンジュラムの初弾です
福島県の河崎鉄聖
元はこれでしょうか?
私も大分前にこれを見た覚えがあったので探してみました。
どうせ見るならオリジナルの方が良いと思います。
⬆️
そうそう、この頃はまだ上手かったなぁ😅

わが子よ
エスカレイターではなく
自分の足で荒れ地を駆けろ
荒野のまっただ中を走れる大人となれ
既成の価値観にとらわれるな
他人のためでなく 自分のために生きよ
余力があれば人に恵むべし
願わくば
ボクが生きているうちに自分で生きる力を
心に持ってほしい・・
(オリジナルフォトをめっけましてね😅)

父はGUN専門のフォトグラファーであったが 射撃のインストラクターでもあったので当然のようにケニィを一人前のシューターにしてやろうと考えていた
ケニィが2歳になる頃にはゴムボウルでキャッチボウルを教える 早いうちから動体視力と反射神経を養っておけば射撃の基礎となるからだった
幼稚園に通い始めると小児の野球部に入れ 小学生になったらサッカーを・・だがケニィは小柄なため乱暴な子供達にやたらと押し倒されるので辞めさせ 野球部へ そして町の柔術道場にも通わせる
弱い者はイジメられ 強い者は堂々としていられるのが子供の世界なので 暴力を受けたら反撃できるだけのスキルは身に付けさせておきたかったのだ

ある種の植物や犬猫へのアレルギーがあり 胃腸も弱かったケニィだが 学業にも優れてスクスクと育ち やがて中学生になった・・

中学に上がるとカデッコウに参加しフレズノでの行進では班長を務めました

帰りにはガンショップに寄って弾をシコタマ購入・・

まずは22口径ライフルから始めるのが通常で・・その理由はGUNが軽いので非力でもハンドルでき 弾が50発で2ドルくらいと安価 今は5ドルを超えていますけどね💦

ケニィの父は日本一のGUNオタク😆
ビアンキカップやスティルチャレンジのワールド戦に50回は参加したという好きもので モデルガンからタマの出るエアガンを作ろうというコンセプト ディザイナーでもあった
そんな父が凝っているのは9mmライフルだったのでケニィにも押し付ける・・

ケニィもオモチャのような22口径よりも9mmという本物の重量感と反動が気に入ってしまう・・

12歳の誕生日には74.87秒という目覚ましいタイムをケニィは出し この才能は普通ではないと父は想った・・このまま行けばワールド戦で少なくともジュニア部門で優勝できると感じていた・・

50年近くをコンバット射撃に費やした父は 世界のトップシューター達をよく知っており 射撃訓練のあり方に精通していた
過去にはヨウコという日本のエアガンシューターをビアンキカップのウーマンチャンプに育て 続いてヴィエラ クーという中国女性をも優勝させている 日本で有名になっているマック サカイもイチローのもとで訓練した
楽しく練習する
チャレンジを喜ぶ
無駄な練習はしない
段階によって適切な訓練をする
銃には自分に合うように改造を加える
コロナの流行で授業がリモートになったので二日おきほどに集中練習が出来 ケニィは毎週ごとにステップアップしていった・・

ケニィはやがて70秒を切った
これはもう世界に打って出るしかない!!
ケニィよワールド戦に出たいか?・・
うんっ!!
父はこの時点から「自己流」を推奨する
基本ができたら自己流を確立するのだ
人はソレゾレだから基本に固執してはならない
これまでの自分を超えるためには 銃の持ち方やハンドリングやナニモカモを見直して自分の流儀を創造する・・これは 上級レヴェルに達した者が忘れてはならないことで コーチ役の父としてはケニィが間違った自己流に陥らないかを監視しながら助言をする方向に向かう・・
ケニィの本当の才能の見せ所は始まった・・

忘れてならないのはジョージさん(左から3番目)の個人射撃場を自由に使わせてもらえたこと!!
しかもココにはスティルチャレンジのターゲットが常設されていたのだ・・
ジョージさんは 善い人と見込んだ7人ほどの近隣シューターを招待して金曜日に試合を開いていた
彼は若い頃からスティルチャレンジにハマり パイルーの世界戦に出ることを楽しみにしており ちょうどKC少年がデヴュウした時に一緒のスクワッドとなりKCの才能に驚いたと言う
そんなジョージさんはケニィの急速な成長を観て ケニィは第二のKCになると断言し協力を惜しまなかった
⬇️ 幼き頃の想い出

この樹をみてごらん・・・
樹というのはね 土と水から栄養を
もらって育つんだよ・・・
だけど この木は岩の割れ目から
伸びているよね・・・
土もなくて雨もたいして降らないの
だけど どうしてこの樹は生きていら
れるのだろうね・・・
その理由はダダにも判らないんだけど
ただいえることは この樹は困難な
状況に対して特別に強い性質をもって
いるということだと想うんだよね・・・
ヒトもね 困難な人生に直面して
すぐにダメになっちゃうヒトと
ものすごく頑張って上に高く伸びて
いけるヒトとがあるんだよ・・・
と、この樹を前にしてワシは子供達に
言ってきかせました。
どこまで解ったのか・・・
でも子供たちはシゲシゲと眺めて
いましたよ(^-^)
子供は、ある種の性格をもって
生まれてきます、、が、それを
どう伸ばすかは親の役目だと想うの
ですよね。
その子の性格に合わせた人格作り、、
これが親の仕事でもあると想うの
ですよ。
人間の心が形成されるということは
好ましい人格を備えられるかどうか
ということで、こういった教育の
見極めは、とても難しいことです。
まずは、優れた価値観を子供に
与えてやりたい、とワシは日夜考えて
おり、それを自分がキラワレナイよう
に自然に植えてやりたいのですよ。
価値観とは人生の武器そのものです。
田畑(デンバタ=財産のこと)を与えて
やってもショセンは失うばかりですが
心に高い価値観を刻んでやれば、
それが子供の核となって人々に
受け容れられることになるわけです。
価値観とは何かといえば、これは長く
なるので有料でないと(^o^)USO・・・
ようするに、今の自分にとって
ナニが一番大切か?・・・
ということを察知する思考能力と
いったものでもありそうです。
「人生とは選択の連続」ですからね。
選択しなければならない場面は
毎日、毎時間とあり、時として今後を
決定するような大選択もあり、
そのときに価値観のチカラが発揮され
るというわけなんです。
たとえば 太っている自分を放置する。
タバコを止められない。
深酒を繰り返す。
優しさがない。
善良な人に嫌われる。
こういう人は価値観を変えることで
大きく前進できるわけで・・・
価値観の低い人は、どうしても不幸
の渦に巻き込まれるものです。
ここにやってくる2ちゃんねらーの
オゾマシイ文を読むたびに、
ああ、この人の親は人間教育で失敗
したな〜・・そしてこの子は自分で
伸びてゆくチカラも失って可哀想な
ことだな〜(>_<)と想い、
“自分の子くらいはきちんと育て
なくてはならない・・・”
と意思を新たにするのです。
そういう意味で、イスラム国に
行こうとした若者の存在は、
世間の親たちに警鐘を与えることに
なったかもしれませんね。
そして真面目に生きている若者たち
にとっても「ああはなりたくないナ」
という怒りに似た感情を植え付けた
という印象もありますね。
もっと書きたいのですが、このへんで
失礼します。
市
マロンパが例によってゴシンセツにもお得意のボケ加工を施したフォトを載せてくれましたが、想い出の一コマとして掲載しました・・🤭
ローカル試合では圧倒的な速さで連戦連勝するようになったので 父はケニィをキャリフォニアのステイトマッチ(州単位での戦い)に出すことにしました・・

麻薬人が横行しているような1番安いホテルに泊まったのでナカナカ侘しく・・将来のケニィはこうやって独りで射撃場を渡り歩くのかも と想像しながら撮影しました・・

食事は玄米握りとワンタンメン そしてバナナ

カーテンに紙で作ったペンジュラムを貼って練習したのです・・

事前に打ち合わせてスクワッドのメンバーには日本人に集まったもらいました♪ サメジー先輩とも初顔合わせで 彼の素晴らしい撃ち方を観て 自分もピストルで上手くなろうと決めました
そして9mmライフル部門で優勝!! タクマとイケちゃんはイッパツでケニィのファンになりました♪
そしてワールド戦に挑戦・・

13才の少年が9mmライフル部門で60秒を切るという世界記録を出して総合優勝 さらにオープンピストルでは82秒台 そしてグロックで2位ということで大勢のシューターがケニィを見に来ました

よく年のワールド戦では目標としていたライフルマスター(リムファイヤとセンターファイヤでの合計)を獲り まさに世界一のライフルマンと認定

翌2023年ではさらに飛躍しケニィの名声は不動に・・しかしケニィは射撃に飽きてスティルチャレンジには出たくないと言い出し、父もソロソロ社会に出てからのことを考えた方が良いだろうと賛成・・以後のケニィはUSPSAに参加してコンバット射撃の基本を学ぶようになります

ケニィ ラストの大きな舞台はアリゾナで開催されるデザート クラスィックでした

多くのミリタリーティームも来れば あの有名な要人警護部隊からの挑戦もあり なんと537人(だったかな)もが三日間をかけて16ステイジで戦うというUSPSAの試合です


ケニィはタラン特製のコンプ無しバレルを使ってリミテッドオプティクス部門に参加し87人中で3位に入賞 もちろんジュニア優勝 そしてジュニアのオープンにも勝ちました そして総合で17位 ケニィの下のグランドマスターを数えるとなんと30人を越えていたのです
18歳にしてプロ級の射撃力を得たケンシロウには どんな人生が待っているのかワンダーしています
しかしこの2年間は射撃ソッチノケでドゥローンにコリまくり できたらドゥローンパイロットになりたいと💦
ボクは中学の頃から模型飛行機に凝り 大人たちがやっているUコンに憧れていましたがド貧乏だったので匂いを嗅ぐだけで・・やがてラジコンも流行りましたがカネと時間が無くて悔しくて😭・・そんな気持ちが刻まれてランディとジーンとケニィに移ったのでしょうね・・
そうそう アメリカで収入に余裕が出た頃にセスナの指導官と出逢い 600ドルで免許を取らせてくれると言われ😳 飛行機も中古だと高くなく・・けど別の人にLA往復でセスナに載せてもらったらエラく退屈で大空に羽ばたくとはいえツマラナイと感じ 同じくヨットで一泊の旅に招待された時も退屈感に悩まされ💦どうもソーユー事にボクは向いてないのだと悟りましたよ😅
ほんとはメモリーをもっと細かく描きたかったのですがモタモタするうちに日々は過ぎ いよいよ明日はケニィの旅立ちの日となりました・・・
そして今日の昼前・・

ケニィは元気な笑顔でLAに向かったのです 😭
ボクが高校を出た時のことを想い出します・・職安に行って住み込みで働けて夜学に通えるという条件で紹介されたのは渋谷の洋菓子店でした(前にも書いたよね)コオリと呼ばれる箱に必要なモノを詰め込んで兄のパブリカで送ってもらいました。
「本当にいいのかイチロー?・・大学に行きたいならカネを出してやれるぞ・・」
「だいじょーぶ ボクは写真だけを習いたいから・・」
杉並区から渋谷までの車内で会話はそれだけ・・兄はいくら才能があるとはいえボクが写真で食えるようになるとは一切信じていませんでした
暗くなるころに洋菓子店のオーナーの家に着き パブリカからコオリを出して兄に礼を言って見送り ボクは玄関に入りました 50歳くらいの奥さんが出てきて2階の部屋に案内してくれボクは独りになりました・・すると全身がズワ〜っと寂寥感に包まれたのです しばらく茫然と佇んでいましたが やがて正気に戻り・・ああ、これが苦労の始まりか・・これから見知らぬ人々の間で生きるわけだが なぁにイッショケンメにやるだけさ!! 少なくとも中学時代のように飢えに怯える事はないのだから安心さ・・
そう考えたら平常心に戻れてスヤスヤと眠れたのです ただあの時の寂寥感は今でも時として想い出すのです・・
5時間も経った頃にケニィから到着したとテクストがあり安心しました

なんと最初に逢ったのは ケニィのファンクラブの会長さんで 待ち合わせ場所は上の看板を😳

そう サンタモニカにあるタクマ亭のタクマさん!! 痩せているケニィを太らすために焼肉を別のレストランで食べさせてくださると😋
月曜日
ケニィは出社したそうで・・
社長によって社員たちに紹介され 皆がケニィのことをよく知っているのでビックリしたそうですよ
それにしてもココの誰1人として 彼がどこで働き始めたのか訊いてこないのは全く興味ないのか はたまたそれを知るには200円払えと強要されることがコワイからか😆
でもブシツケな質問はしないようにと自制心がハタライているのだと善意に解釈して・・もいいのかねKOちゃんや??🤭
ケニィが初の出社をする時刻 ボクは射場所に行ってM&P 22-15を撮影しておったです
ケニィが巣立ってもジュンの卒業まで2年もあるので自分を保たないとイカンと考えておるワケ
そのためには射撃能力の目減りを遅らせたいと・・
GUNのケア 弾の準備 マグの調整 サイトの選択 そして自分の出せるタイムの維持・・
特に難しくなっているのが射撃でがんす😭
構え
銃の握り
呼吸
瞬き
バズへの反応
初弾を放つ時の一体感が薄れつつあり スタンバイが以前のように易しくはないのです 若い頃は本能的にレディ出来ていのに今はドコかが抜けやすくて・・💦
これ放っておくと身も心も老化してしまう
歳はとった・・
が、まだ死んぢゃいねぇ😤
これはアメリカでたまに聞かれる言葉ですけど そんな心境なワケでがんすよ☺️
趣味は老化を遅らせる
趣味は認知症を減らす
そこに挑戦があり喜びがあるから
なんでもイイ・・
今日の予定を作ること
1日を漫然と過ごさないこと

かくして フォトをカッコ良く撮るにも気を使う♪

背景がウルサイのでポートレイトモードで撮る・・今回はトゥリガーが消えとらんねサイプレ先生😀

実は急に撃てなくなり 調べたらファイリンピンが折れていた💦 もう2度目だにゃ😾

AR-15の練習に最適なディザインなので好きなんよね💓

ケニィ師匠のように低くは構えられないので 楽に狙えるようにホロサンにゲタを履かせてヤヤ高くしたさ

ペンジュをイッショケンメに撃っていたらハズカシクはないタイムが出た!! これはマグレではなくターゲットのヒトツひとつをキチンと狙えていた・・けどちょいと休むとモウ出来ない💦
世の中には簡単なことなど無いっ!!
自分なりの限界への挑戦
イチロー兄ィはジジイになっても気張るのだ💪
だけどぉ〜😭
この時にトゥリガーがダメんなっちまっただよぉ〜😬と静岡弁がこぼれる(^○^)
そこで ボクの師匠にトゥリガーはないかと聞いてみると引き出しにあるよと・・

これかい?・・とフォトを送ると もうひとつあると・・

どっちが良いのと聞くとFLFが良いと・・

フムフム・・トゥリガー交換はやったことないけど・・と考えながらグリップを外してセレクターも外してピンを抜いて駄目トゥリガーを取り出すと・・

ディザインが旧態なヤツだ💦
SWパフォーマンスセンターは名高いけどケチなんだと感じる・・油で汚いのは故障したのでガンオイルをたっぷりと注入したからさ

今時のARトゥリガーはワンピースでインストールも簡単だよ♪ でも200ドルもするんだとさ・・
ワクワク☺️
撃つのが楽しみだよ🎶
で、撃ちましたよ・・

すると25発撃った中でこんなに不発が😭
撃針痕を観察すればヤヤ浅い😖
ハンマーのバネヂカラが足りないのです・・
そこでコレら不発弾をケニィのヴォルコーセンで撃ってみると 全てが発射できました・・

ケニィの撃針痕はよりディープです!!
もともとこのELFトゥリガーはAR用で223か5.56mm弾を発射させるためのモノでセンターファイヤを対象としているのでリムファイヤ弾にはどうかというギモンはありました・・
うーむ・・
🎶あなたな〜らどぉするうぅぅ〜??🎶
解決市頭巾の活躍が待たれるのであった!!(快傑黒頭巾ノ映像をタイタンに期待ス)
イチ頭巾の解決編
解決イチズキンはズキンなど被っておらんのである。ハゲた頭を市民の前に平気でさらし、ハゲを嫌うオンナなどは元より愛情の対象として考えもしないのである。それでいて禿げたイチズキンの高い理性を根底にした慈悲深さと正義感、それに悪人を退治するに相応しい戦闘力に惚れに惚れて群がる知性溢れる女性は甚だしく多いのである。
不発のヘリ打ち長銃の修繕に挑戦するイチズキンは一計を案じておった・・それは世の中の誰もが考えつくような立案ではなく比類稀なる発想であった・・
それは・・

愚息の剣士郎が推奨しないでおった日王江府製による引金の善悪を確かめるという意表を突くような壮大なる計画であった。それを考えつくのは世界におる七拾九億五千万人の中でイチズキンだけが発想しうるという極めて平凡にして普遍的で妥当なる思考であった。
明日ありと
思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
明日が来ると思う奴は馬鹿野郎でトンマで間抜けだから明日を待つんぢゃないよ
違訳 by バロンパ
そのような古語に従い、引き金の交換はイチズキンの居間にて行われ、其処の窓を開けて室内から軟弱空気銃用ターゲットの間に撃ち込むという急襲部隊のような速攻で行われ、その結果は元鉄砲写真家によって撮影されたのである。ご笑覧いただこう!!

CはCCI、Eはイーリーの事である。
双方どちらも愉快なほどに深いではないか!! 以前の奴は不快なほどに浅かったのである。特にイーリーのヘリは柔らかいのか観るからに見事な打撃痕である。これならば明日の金曜試合で江須駄部留雷府流銃は嘸かし活躍できるだろうとイチズキンは自信を深めたのである。
閑暇老人銃撃日誌より🤭
金曜試合が始まりました!!

最初はスモーク&ホープ
無事に25発を発射できました☺️なかなかのディープストライクで安心でい♪
在庫の多いイーリーを主にCCIも混ぜています・・

まず狙うのはペンジュを3秒以内に撃つこと・・けど5回のうち壱度だけ😭 なんだかM&Pは難しい😓 そしてケニィが言った通りでトゥリガープルが重いのです・・でもねAR-15のトゥリガーってソンナに軽くはなくムカシはナイツのトゥリガーが圧倒的に滑らかでしたよ で、POFはソレより一段と滑らかなのでボクとしてはイイのですけどさ・・

そして結局5ステイジを故障なしで撃ち 皆さんが帰ってからさらにペンジュを15回ばかり撃って やはり故障なし♪
こうして打撃痕を見るに やはりイーリーの方が深いですね・・左に2個あるのは発射前の弾ですけど 比べるとイーリーの底は柔らかいですね〜
22口径弾のことで底のことをソコまで知っていればソコソコの知識と言えますね〜😆
とUことでポチの真ケンな顔でもご覧あれ(^○^)

散歩が大好きでママにネダっているところです^ ^
すごく美味しいモノ♪

納豆にね、アヴォカドを混ぜるとモノスゴク美味しいのですよね・・その上に庭で採れたオクラを加えるとサイコウキュウデラックスなオカズで、主食は玄米にニンニクと塩を少し加えたのにすれば90まで生きられそうで それはそれで困ったもんです😅
で・・金曜の夜中のこと、ケニィが家に戻って来ちゃいましたよ😳
いったいどうしたのか・・・
故郷に玄米とニシキを飾りにキター😆🎶
↑↑↑
どうだろね、この極楽トンボ😤😾
ぁあのねぇ!!
故郷にニシキなんていらんのっ😬
どしてかちゅうと
ニシキはもうあるからなのっ!!
見たいかニシキ???

ほれっ!!

ナバロンの要塞みたいな大砲!!

これがニシキなのっ!!!
生まれて初めて手に入れた銃はこれと44式なのっ!!
マロンパは入手したストーリーを書きなさい・・
「これだよ」と、彼は大きなテーブルクロスにくるんだ銃を引きずり出してきて見せてくれた。それは、博物館の物とは違い、生き生きとして輝いて見えた。予想に反して素晴らしく美しいライフルだった。なにしろ、生まれて初めて手にする日本軍の銃だったのだから何も分からない。
黒々と分厚い、荒く仕上げられたレシーバー。なにやら複雑なリア・サイト。それらに素晴らしくマッチするナチュラル・フィニッシュのストック。重厚なデザインを裏づけるような両手にズッシリとくる確かな重量感・・・。
昔の兵隊はこんなに重い物を持って何十キロも歩いたのだろうか?鋭くとがったフロント・サイトは両側をガードで守られ、その下には銃身にそって細いクリーニング・ロッドがつき出している。“二式”という文字がレシーバーの上に彫ってあり、 その先に菊の紋章もある。「ニシキ?」 日本製であることは確かになったが、それ以外はさっぱり分からない。ほかに文字を捜すと、いたる所に同じような番号が打ってあるか、見たこともないマークがあるくらいのもので、知識の無い悲しさ、30年以上昔の銃であるらしいこと以外は何も分からなかった。
「もう一本あるよ」
彼はまたひとつ、今度は短いのを引っぱり出してきた。重く長い二式とは異なり、今度のはいやに短く、ちょっと軽く、銃剣が銃身の下側にそってたたまれており、ボタンを押して引き出したら、パチンと小気味良く固定できる。そして、こっちの方は二式よりも各部の仕上げなどが入念で、全体のバランスも上出来なかんじだ。レシーバーの上には四四式と彫ってある。まるで銃に興味を持っていない友人からその2本の宝物をとり上げるのに、たいした苦労は要らなかった。
━━Gun誌1977年12月号より━━
渡米し、初めて自分のフォトを撮ってもらったのはポートランドの海辺にあるモテールでのことでした。74年4月のようです。
このモテールは友人の両親が経営しており、自分たちのアパートを探す前にここで10日ほど泊めてもらいました。友人は日本人で、子供のころに母親がアメリカ人と結婚することになって一緒に渡米し、ヴェトナム戦争に参加した経験がありました。イーチは、その時のユニフォームをもらって着ていました。
「アメリカでは鉄砲持ってる人が多いそうだけどUの義父さんはどうなの?」
「うん、ライフルとピストルあるよ」
「見せて欲しいと頼んでよ」
こうして初めて触れたのがこの特徴もない安物のボルト5連、そしてブラウニングの1910でした。
それらは、ごく当たり前のように・・まるで包丁や釣り道具のような感じでその家庭に存在していました。
こりゃイイ国に来たもんだ♪
イーチがほくそ笑んだのは当然のことであった
(^O^)
やがてポートランドのダウンタウンにアパートを借り、昼間は移民のために開かれる英語学校に通い始めます。一切の費用は無料で、ボランティアの先生たちが実用英語を教えてくれるのです。
しかし持ち金は2800ドルほどと心もとない金額でしたので・・それと早くアメリカ社会に入りたいので夫婦でジャパニーズレストランで働くことにしました。学校が終わったらレストランに直行し、夜遅くまで天ぷらを揚げていました。
そのレストランは大きく、まさに白人好みのきらびやかなものでした。オーナーの奥さんの部屋には10個ほどのカツラが並べられており、60過ぎの彼女が派手な和服とカツラかぶっているのが正視できず、いつも目を背けながら挨拶をしていました。
シェフは、お世辞を言う者には異常に優しく、そうでもない者には辛く当たるという、いわゆる未熟すぎる人間で、いつもボス面でいばり散らしていました。キッチンだけでも十数人が働いており、みんな日本人でした。現地の学生アルバイトもいましたが、自意識過剰者が多くて友達付き合いできそうな人はいませんでした。うちの姉は「日本人村」と呼んでいましたが、たしかに外はアメリカなのに、日本人ばかりが集まるとチマチマした会話や愚かしい自慢話や他の日本人の悪口ばかりで、この村からは早く出ないとまずいだろうと考えていました。
さて、
米国日本人村の日本人の90%は小者すぎてお付き合いできない人々ですが、中には立派な意思をもって脇目も振らず自分の道を歩んでいるTUCSONちゃんみたいな人もいます。我がなつかしの日本レストランの副シェフがそうでした。彼の名は「セイさん」九州弁丸出しで料理のやり方をイーチに好意を表しながら教えてくれました。奥さんは現地で結婚した白人女性です。とうぜんのように日本人に欠如している国際感覚というものの持ち主なので、互いのこれからの人生のあり方などについて語り合える仲となりました。
そんなある日、セイさんが
「イチローさん、うちに来んね、夕飯食おや」
それは2回目の誘いでした。
奥さんは小柄で細い美人で、日本人が好きなのだそうです。日本語は片言でした。
「白人女性と暮らせていいじゃないの♪」
「よかけど年取るのが早かとよ〜・・まだ22歳なのに太ももの後ろにシワがあってげんなりすっとよ。だけどいっしょけんめに尽くしてくれっからよかけどさ」
なかなか上手くいってる国際結婚でした。
「ところでイチローさんに話があっとよ」
「ほう、なんね?」
「ミーとルースはジャパンに引っ越すんよ」
「ええっ! ! ないごてぇ〜??」
「アメリカにはインドアプラントが多かで、このビジネスを日本でやろち決めたんよ」
たしかにセイさんのアパートには様々なインドアプラントが所狭しと並んでいました。奥さんの趣味だったのです。それに影響されてウチでも育てていました。
「こげなアメリカの片田舎で板前やっててもウダツがあがらんし退屈なんで2人で冒険すっとよ」
「そーか・・寂しくなるなぁ〜、だけどオイたちもサンフランシスコに引っ越すつもりやから、お互いに気張ろうな」
「そんなこっちゃから、ウチのもんなんもかんも売らなならんとよ、どうね、日本軍のテッポを買う気なかね?」
「ああ、こないだ見せてくれたアレね・・・」
「イチローさんテッポ好きだっちゅうから、持っててほしかとよ」
「いくら払えばよかとね?」
「二本で150ドルでどーね?・・・オイはなんも知らんけど、めずらしか小銃じゃち聞いちょるよ。
「ああ、そんくらいなら払えるから譲ってもらうわ」
当時のイーチの収入の1ヶ月分ほどの金額でした。知り合いの大学教授の月給が千ドルほど。500ドルも稼いでいれば暮らしていけるという時代です。
こうしてイーチは初めての自家銃を得ました。
しかし、当時のイーチは銃に関してもまったくの無知。ピースメイカーとヨンヨンマグナム、コルトパイソンの名前は知っているけど、まだ見たこともないという状態でした。銃がほしいのでやがては買うつもりながら、その目的は「闘いの道具」で、銃はナイフや槍や弓よりも強い武器だから欲しいという浅い認識でした。なので日本軍が使った時代遅れのライフルには興味がなかったのです。
銃に関する無知さはセイさんも同じで、射撃にはまったく興味なし、イーチができれば38式がほしかったと言っても、それはなんなのか知らないというもので、自分が長いこと持っている44式と二式というモノが何なのか知らなかったのです。
「二式はやたらゴツかけど迫力あるね〜」
「よんよん式は短くて可愛かね〜」
イーチの見方もそんな程度です。
ただ、フォトグラファーとしての眼には、それはとても美しく映りました。
この鋼鉄の構成美には感動しました。
剛直、という印象でした。
造りには日本刀のイメージがありました。
二式は38式よっかずっと古いもんかな?
38式のほうが欲しいな。
なんで菊の紋章があるんやろ?
これ、本当のことです。
無知は可愛いけど危険ですよね(^O^)(^O^)
ただ「美しい」という理由だけで二式と四四式を引き取りました。
こうして我がアパートにこれらが飾られることとなり、それらは立派なオブジェとして存在感がありました。この力強いディザインはイーチに生きる力を与えてくれるようになりました。
朝から英語学校、夜はレストランのバイト。
クルマもないのでガンショップやデパートに行くのもオックウで、休日は寝てばかり。
でも、これらの銃について知りたくなり、図書館に行って本で調べました。
二式→落下傘部隊の銃。
Take downデキル
と、ありました。
「テイクダウンってどういう意味なの?」
「分解という意味だけど」
と姪の静子が教えてくれました。
「二つに分かれるという意味かもよ」
ふーん・・・じっと見るに、なんだか回せるようなつまみがあり、それは吊るためのリングだと想っていました。
くいっと左に回してみました。
まわるっ!!
まわす、まわす、まわった!!
棒が出て止まった。
これで銃身が留められているみたいだ。
二式の後ろと前を握って引っ張る。
すぽっ
わーーっ!!! 抜けたぁ〜(^O^)
その感動で三日間は喜んでいました。
↑今の時代、簡単に情報がえられます。
値段も簡単に調べられます。
程度のよい二式は4,850ドル
我が家のは、まあ3千ドル。
中級サラリーマンの月給という値段です。
1974年は遠い過去となりましたよ・・・・・・。
ちなみにこれを欲しがっている人は、アメリカとドイツの軍用銃をたくさん集めている人で、いよいよ日本の銃にとりかかるというリッチなコレクターなのです。
そこでワシは、心を鬼にして決定します。
人が鬼になった場合、
二式を売るのか売らないのか???
それが楽しみではありませんか(^O^)/
どうだい、
この美事な存在感!!
この明るい色調の木部の質感はたまらんぜい。
想い出せば、アメリカでの長い生活を通してこの二式は常に視界の端っこに存在していた。たまに手に取り布で拭いてからボルトを操作して狙いをつけてトゥリガーを引いたものだよ。なんだか家に住み着いた「青大将」と呼ばれる好ましい大柄な蛇のような存在だった。
これが我が家に幸運をもたらしているような・・一種の守り神ではないかという気さえしていた。
そして今・・・
死の予感は床下浸水のような静寂をもって嵩を増している。我、嬉々として旅立つなり。
そのための身辺整理をしている最中なわけだ。
日本軍の銃を愛でる家族はいない。
家にとってじゃまな存在となっている。
ここで正当な人に譲り渡すべきだ。
もうすぐにお別れだ。
そう想いながら毎日手にとって鑑賞している。
結合部を見ようか、
クサビ形のボルトを押し付けるという構造だ。
ネジ部は別パーツ。
ラグのカットは台形、
ここでガッシリと固定され、微動だにしない。
テイクダウンできるライフルとしては珍しくサクセスしたディザインだと英語の図鑑には書かれている。
なるほど、二式改がダーティーハリーで使われたわけだね。
それにしても、この新鮮さはどうよ、まるで昨日作られたようなフレッシュ感がある。ブルーが美しい。トゥールマークにも荒城の月のような味わいがある。そう、まるで昔の光を観るようなのだ。
と、そんなときのこと・・・
ダダ、それを売るの?
と、ケンシロウが聞いたのです。
うん、これを売ったオカネでケンシたちの射撃費用や柔術代などを払うのだよ。
・・・・・・そーかぁ・・・・・・
ケンシロウは黙って聞いていました。
そして柔術道場に通うときの車内でポツリとこう言ったのです、
あのライフル、売らないでほしいよ、
ボク、あれ好きなんだよ・・・
ええっ? ほしいのあんなもん?・・・
撃つことのないただの飾りだよ・・?
うん、でも好きなんだよ、
かっこいいしアレ・・・・・・
父は真剣に再思考をする。
売って3千ドルか・・・
たいした額ではない。
だけどカネほしさで売るんじゃない。
身辺整理が目的だ。
しかし身辺整理は剣士郎に任せてもいいのではないか・・・
アーティストとしての審美眼が芽生え始めているのだから、彼なら大切に保管するかもしれない。父との想い出の逸品となる可能性が高い。もしもカネに困って売却すれば、時代は過ぎても1ヶ月は食える金額になるだろう。
そうだな・・・
ケンシロウに渡そう。
したら自分も死ぬまで鑑賞できる。
と、いうことになったのです。
━━タクティカルライフ
2019年09月09日「二式テラ銃」
2019年09月13日「二式の行方」より━━

・・・とUワケで日曜の朝にケニィは去りました。どうUワケかちゅうとミーやんが言ったような理由で玄米釜だのナンだのゴルフ道具などを積み込みました。近くに高級ゴルフ場があってチョー割引で練習できるとかで・・それと今回のメインな目的はナカヨシの誕生日を祝うことで、高校時代の友人たちと話が弾んだよう。
ケニィには大勢のフレンドがいましたが、彼が言うには多くがタバコ類と酒を飲みだしてクダラナイ話しかしなくなってすごく失望し、もう会いたくもないと・・まともな友人は3人ほどに減ったと・・
日本でも大学生になると酒場に集まってイッキ飲みしてバカ騒ぎするようですが、親のカネをそのように使えるなんてダメ人間の始まりで😤
ケニィには試合の賞金とバイトで稼いだ2万ドルほどがあり、親の援助は断って独立、できたら買ってもらったカローラをジュンの卒業時にプレゼントしたいと☺️ もちろんビールもタバコも一切拒否し、そんな仲間とは会いたくもないと言ってます。これはボクの教育のタマモノであり自慢であります。ヘエンプイプイ(^_^*)
住み込んだ場所はレイガン大統領も住んでいたオカネモチタウンの多い地区で、2人の人が立派な家を持っており空いた部屋を貸してくれたのです。つまり間貸しで 独身者にとってはアパートよりも安上がりなんですよ。で、大家さんには射撃の名人であることは面接で言ってないのですが、2人ともケニィのことを大いに気に入ってくれて♪ 間貸をする人々は入居者を注意深く選ぶもので、18歳の高卒で大学には行かずに働くと伝えるとソノ時点で断られるのですが、2人とも日本に行ったことがあって日本人の子とUだけで喜んでくれたのです♪
もちろんタバコ吸いはお断り!!
ボクが高校を出てバイトを始めた頃に演劇部の仲良しだったイノウエと喫茶店で会った時、彼はオモムロにタバコを取り出しライターで点火、オゴソカそうな動作でボクに手渡しました・・
「もう大人なんだからオマエも吸えや・・☺️」
ボクは受け取って吸い、ゴホゴホと・・
「これ、なんために吸うんだ??」
「頭がスッキリするぜ」
「これカネ出して買うんか?」
「もちろん」
「ふーん・・・でもボクはタバコ代があったらフィルム買うわ、その方が勉強になるから・・」
で、写専を出て(卒業試験は欠席、なぜならアートジョブは実力社会で履歴書など役に立たないので、でも卒業者名簿に載っているソーで😅) 就職すると写真部の仲間達から酒場に誘われ、断りきれずに参加するとビールとタバコと噂話のオンパレイドで、それが毎週の様に続き、とうとうボクはたまりかねて叫びましたよ
「みんないつ勉強するのっ!!!」
一同シーーン・・・
その質問はなかったかのような沈黙・・みんな黙って飲んでいました・・
「ナガタくんさぁ・・社会に出たらもう勉強しなくてもいいんだよ・・楽しく生きればいいんだよ・・」
年長の人が静かに諭してくれました・・
ボクは こんなことでは楽しめない、人種が違うんだ・・と残念な気持ちで落ち込んでしまいました・・
今にして想えば、物事に善悪などは無くて 自分の好きな道と嫌いな道があり、自分で選択すればよいだけのハナシ。タバコや酒に溺れるのも 麻薬の快楽に侵されるのもそれなりに悦びや安堵があり、若いうちに死のうが90まで生きようが、そこには大した差などないワケで・・
で、ケニィの仕事はナニかと言えば 最初は配送部の手伝いで、ナニを配送するかと言えばマロンパの自信ある説によるとフラッシュライトの出荷なわけです・・・が・・

実際のところ、庭のミニトメイトウがとても美味しいのですよね (^○^)
で、急にムカシの拳銃を撃ちたくてタマラナクなりましてねぇ〜♪ソレを保管所に取りに行ってきたのです。したがってケニィの行方はイズコか・・のまま次の章に移りましょうね・・バイバァーイ 🙋

間貸しとは懐かしいです、日本で言えば昭和にあった下宿ってイメージでしょうか?
独立したい若い者にとってはうってつけの住処です。
私もアメリカでの仕事が決まった後に間貸しに引越しました。
そこは大戦後に戦争花嫁として日本からLAに移り住んだ方の邸宅で沢山余ってた部屋を使って小遣い稼ぎをしていたのでした。
子供部屋のような個室が確か月300ドルだったかな、家主さんが気難しいので気を遣いました(笑)
私の他には日本語がカタコトの日系2世の女の子が間借りしていたのですが、この娘の夜遊びが過ぎて頻繁に行方不明になるのでいつも大騒ぎだった思い出があります(笑)
酒もタバコも!私もどちらも、まぁー酒は弱くてそもそも飲めないのですが。
我が家の息子もどちらもやらず、飲み会のも一切行かないと言っています。
これで、銃に興味を持ってくれたらな〜〜・
ケンシロウくん、イラストもうすぐ送りますね。もし良かったら飾ってくれたら幸いです。
無理せず、健康だけは本当に気をつけてください。応援してます!
ケニィくんのキキョーは
ナカヨシ友人の誕生会🎂とか
道具の補充🍚🏌ですたか~♪
で、ケニィくんの仕事はフラッシュライトの出荷📦🚀となっ‼️
ヽ(;▽;)ノ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ヾ(≧∇≦)/ ビンゴー
・・・が・・
↑↑
なんだすか・・コレ?
なぜに
庭のミニトメイトウがココででてくるんだすかあぁぁ━━━━━
ヽ(;▽;)ノ💦💦💦
by ムカシの拳銃も気になりすぎるオトコ
♪(◎-◎;) ナニソレー
ちょいと気になったんで買ってみた本。ガチの論文集でした😅
1つ、興味深いことがわかりました。「全国における一級河川河川敷『不法占用』工作物の状況(1969年)」によると、1位は石手川(愛媛県)で804件。2位は旧太田川(広島県)で672件。ともに、住宅だけの数字です。いわゆるバラック建築と呼ばれるような簡易住居ですね。
この数字から、総数はともかくとして、河川周辺のバラック建築密度は愛媛県が突出していたのがわかります。
治水のためもあり、河川も大きく姿を変えているのが現実ですが、名残はあるかもしれない。
今まで攻略の手掛かりを得られずにいたエリアのマップを丹念に調べているところです。うん、たしかに存在する。でも・・・入口はどこだ!?
も少し涼しくなったらフィールドワークしませう😄
世迷言でおます。
今日も暑かったでおます。
退院の為に主治医に相談して何を
話そうかいなぁとそればっかり考え
ているでおます。
今日の総歩数合計は4,506歩でおました
🙂↕️